干潟に棲む生き物の多くは、地中に巣穴があったり、泥に潜っていたりするため、一見しただけではどんな生き物が棲んでいるか、伺い知ることができません。また、調査は、季節や潮の干満を考慮する必要があり、調査方法や生き物の同定についても専門研究者の協力が欠かせません。

このプロジェクトでは毎年、5月~7月の大潮の日に協力研究者を交えた「干潟生物市民調査」を実施しています。江奈湾のほか、近隣干潟や黒潮流域の各地の干潟で実施することもあります。


江奈湾での市民調査


市民調査の調査手法により、調査が初めての方でも参加することができます。毎年同時期に実施しますので、経年的な変化を把握でき、また、全国の他の干潟の調査データとの比較が可能となります。




干潟ネットワーク調査


研究者の協力により、江奈湾に隣接する毘沙門湾の調査のほか、伊豆半島、房総半島、紀伊半島などでも調査を実施しています。


調査で得られたデータの活用


年間を通して行う干潟の自然観察会(モニタリング)や任意調査により季節ごとの変化や動向などを調べる重要な基礎データとして活用されるほか、連携する研究者や研究機関、学校、行政などにデータ提供し、今後の保全対策に活用します。




協力研究者より 「市民調査の必要性 」


文:金谷 弦(国立環境研究所)

 干潟は、河川が流入する内湾に良く発達し、潮の干満に伴って干出と冠水を繰り返します。干潟は、生物多様性や水質浄化への寄与が大きく、その保全は重要な課題です。1940年代頃の日本には、有明海や東京湾、三河湾といった内湾域を中心に8万ヘクタールに達する広大な干潟が発達していました。東京湾にも、千葉県を中心に約1万ヘクタールもの干潟が分布していましたが、1978年までに約90%もの干潟が埋め立てにより失われてしまいました。残された干潟を保全していくためには、干潟の生物相や環境がどのような状態にあるかを根気強くモニタリングしていく必要があります。しかし、研究者による調査には、時間や労力、予算といった制約があるため、市民による調査や保全活動を継続することには大きな意義があると考えます。  私達は今年の4月に、江奈湾と小網代湾において市民調査手法による干潟の生物相調査を行いました。その結果、江奈湾では93種、小網代湾では61種の底生動物(ベントス)種を確認することができました。千葉県木更津市盤州干潟(60種)、和歌山県和歌川河口(57種)、有田川河口(46種)(以上は日本国際湿地保全連合2012)、および三重県の志登茂川河口(32種、木村妙子氏私信)で行われた市民調査の結果と比較しても、底生動物の多様性が高いと言えます。この理由の一つに、狭い空間スケール内に多様な生息環境が存在することが挙げられます(図1)。


■図1:江奈湾に残された多様な生息環境


 江奈湾や小網代湾では、小さな湾内に砂干潟、泥干潟、ヨシ原、岩礁、転石帯、海草藻場がパッチ状に分布しています。淡水の流れ込みにより、湾内には塩分の勾配が生じ、海産種と汽水性種が共存しています。また、護岸が無いため、干潟と潮上帯のヨシ原や森林との繋がりも保たれています。このような自然度の高い干潟は、東京湾周辺ではほとんど見ることが出来ません。

 江奈湾・小網代湾での調査では、絶滅のおそれがある底生動物種(日本ベントス学会2012)が30種以上確認されました。彼らの多くは、東京湾内では既に絶滅またはそれに近い状態となっており、江奈湾・小網代湾は、関東地方に残された数少ない健全な個体群であると考えられます。底生動物の多くは、ある時期を浮遊幼生として過ごし、その後、成体の生息場所である干潟やヨシ原に回帰して、底生生活に移行します。江奈湾や小網代湾は、東京湾内の個体群にとって、浮遊幼生の「ソース個体群」として寄与している可能性があり、保全の必要性は高いと考えられます。自然環境や干潟の生物相は、毎年少しずつ変化していきます。多くの目で、長い時間をかけて観察することで、そこで何が起こっているのかをきちんと捉えることが必要です。江奈湾での地道な調査や保全活動が継続していくことに、研究者の立場からも大きな期待を寄せています。



金谷 弦(国立環境研究所)


1974年北海道生まれ。東北大学理学研究科博士後期課程 修了、博士(理学)
東北大学東北アジア研究センター研究員を経て2009年より国立環境研究所に勤務。
学生時代から大型底生動物の生態や干潟の物質循環に関する研究を行ってきた。好きな生き物はカワゴカイやイトゴカイの仲間。
現在は、震災後の東北地方の沿岸干潟の調査を続けている。